法住寺創立当初より最も尊崇されているご本尊で、千百余年前慈覚大師の御造顕された木像の立像です。後白河天皇が法住寺を御復興になりましたのも、この不動明王像の霊験を親しくご体験になったからで、歴代天皇も公家・武家も、ひとしく厄除け・方除けを祈られ、国家安泰の守護仏と崇められたのです。
法住寺にお詣りの信者さまは、このお不動さまのことを「身代りさん」と呼ばれます。といいますのは、ここのお不動さまがあらゆる災厄から、身代りとなってお護りくださるからです。
歴史的には、法皇さまが法住寺殿に住まいしておられる時、法住寺合戦で木曽の義仲が院の御所に攻め入ったとき、法皇さまがあやうく命を落とされるところを当時の天台座主の明雲大僧正が敵の矢に倒れ、法皇さまが難をのがれることができましたが、この時法皇さまは、
「お不動さまが明雲となって我が身代りとなってくれた」と、とめどなく涙をこぼされたという話が伝えられています。
また、元禄のころ播州赤穂の浪士、大石良雄翁が山科に隠棲中、山科街道を通って遊郭へ通う道すがらこの身代りのお不動さまに祈願し大願成就されたことでもよく知られています。
このようにすべての災厄を不動明王の御身に引き受けてお鎮めくださる「身代り」の霊像に対する信仰は京阪神を中心に全国各地に及び、参詣祈願の人は日をおって多くなっています。