~『 蓮写経 』今季受付終了のご案内~

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今年は梅雨入りが遅く、例年であればすでに梅雨明けとなっておりますが、まだその宣言は発表されていません。ただ、蓮は最後の開花を迎え、葉も横を向き始め、枯れ始めているものもあります。大変悩みましたが、今日をもって今季受付終了とさせていただきます。
今年もたくさんの方に「蓮写経」に来ていただき、また、重ねて来ていただいた方もたくさんおられます。悪天候、足元の悪い中、本当にご苦労さまでした。来年も引き続き「蓮写経」を開催しますので、皆さまのお参りをこころよりお待ちしております。

※通常の写経・写仏は毎日随時ご案内しておりますので、午前9時~午後3時までにお越しください。

さて、梅雨明けが宣言されれば、夏本番となります。次はその暑さに悩まされることでしょう。しかし、その暑さも太陽の恵みです。かたよることなく、こだわることなく、とらわれることなく、真のこころで日々を過ごせば、きっとその苦しみも和らぐことでしょう。

最後に今季ご朱印のご説明をさせていただきたいと思います。初回から4回目の満願まで、すべて意味のあるご朱印となっております。「蓮写経」に来られた方、また、来られなかった方もその意味をよく知っていただき、日々のこころの糧にしていただければ幸いです。

◎初回(1回目)

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・初回(1回目)には、蓮の開花した姿、そして、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という言葉が書かれています。蓮の養分となる泥を「煩悩」にたとえ、蓮の花を「菩提(さとり)」にたとえます。つまり、「菩提」を求めるには、「煩悩」という蓮を咲かせる泥の養分が必要であるということです。誰にでも「煩悩」はあります。その「煩悩」を活力とし、その先にある「菩提」に気付くことができるか・・求めることができるか・・そこが大切なことです。

◎2回目

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・2回目には、仏さまが現れ、開花した蓮を持ち、「発心(ほっしん)」という言葉が書かれています。「発心」とは「発菩提心(ほつぼだいしん)」を略した言葉です。つまり、初回の言葉を受け止め、そのこころを発(おこ)すということです。

◎3回目

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3回目には、与謝蕪村「この泥があればこそ咲け 蓮の花」と書かれています。つまり、「煩悩即菩提」をわかりやすく解釈した詩です。「煩悩」という泥があってこそ、「菩提」という蓮の花が咲くのだということです。

◎満願(4回目)

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・満願(4回目)には仏になった姿、そして、「一色一香(いっしきいっこう)無非中道(むひちゅうどう)」と書かれています。「一色一香」とは「色・声・香・味・触」の五感を表し、「無非中道」はかたよることのない真実を表します。つまり、物事を観察し、音を感じ、香りを嗅ぎ、味わい、触れられるすべての中には永遠の真理があるということです。だからこそ、花がきれいに咲いていることが、葉がきれいに色づいていることが木々でなく、葉が散ってしまっても、たとえ枯れてしまっても、それもすべて真の姿なのです。私たちが思い描く良い姿だけが真の姿ではないのです。そのような意味が込められています。

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