後白河法皇は建久三年(1192)三月十三日に六十六歳をもって崩御されましたが、十五日法住寺の法華堂に葬り奉り、天皇の尊像を安置して今日に及んでいます。明治以後は宮内省の御所管になりましたが、それまでは妙法院歴代門跡法親王の御墓と共に、永く法住寺が守護して参ったのです。現在も御陵内に寺号を刻んだ石の手水鉢が置かれ、法住寺創立当時の「桐の井」の名を伝える井戸も残されています。
後白河法皇は建久三年(1192)三月十三日に六十六歳をもって崩御されましたが、十五日法住寺の法華堂に葬り奉り、天皇の尊像を安置して今日に及んでいます。明治以後は宮内省の御所管になりましたが、それまでは妙法院歴代門跡法親王の御墓と共に、永く法住寺が守護して参ったのです。現在も御陵内に寺号を刻んだ石の手水鉢が置かれ、法住寺創立当時の「桐の井」の名を伝える井戸も残されています。